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子龍が家に帰った時には、まだ誰もいなかった。
この国で名だたる武将にしては、彼の家はとても小さい。これなら城下のちょっとした商家のほうがよほど豪華な暮らしをしているだろう。事実、望めばそうできたろうが、子龍も、その妻となった花も、そういったことに興味は無かった。玄徳が豪奢であることを望めば子龍は無条件に受け入れたろう。だが花が、ふたりだけで暮らしたいなあと慎ましい願いを打ち明けた時に子龍の心は意外なほど強く、そうしたいと思えた。
竃の火も熾っていない。曇り空で、日没よりも早く陰った部屋はとても寂しく思えた。
その時、軽い足音が聞こえてきた。花だ。
彼女は部屋にいる子龍を見て目を丸くし、戸口で立ち止まった。
「うわあ、ごめんね! わたしが遅くなっちゃうなんて」
「花」
昔のように、「殿」と付け足しそうになって口を噤む。結婚してから花殿って言ったらすごく怒るからね、と両手に腰を当てて睨んだ彼女の顔が真っ赤だったことをよく覚えている。
「孔明殿のところに寄ったら、帰ったと言われた」
「うん、買いたいものがあったの。でも先にご飯だよね、ちょっと待ってね!」
花は、手近な机に包みを置いた。彼女の小さな腕に抱えられる程度の包みを子龍はしげしげと見たが、水音が聞こえてきたので衣を着替えに向かった。
婚儀を挙げて半年経ったいまでは、花も食事の支度にもたつかなくなった。花が作る汁物が子龍は好きだ。
食後、いそいそと包みを広げた花に子龍は瞬きした。
明らかに染めの失敗と思われるぼやけた布や斑入りの布に混じって、金襴刺繍の小さな切れ端。長さも色もばらばらな端切れをさも満足げに見る彼女に、また不審がつのる。
「これは?」
戸惑いつつ端切れを指さすと、花はまた楽しそうに笑った。
「あのね、芙蓉姫に贈るの」
「この端切れを?」
「違う違う、えーと、これで花飾りを作るの。ほら、いつも芙蓉姫ってきれいな飾りをしているでしょ? あれをね、作って贈ろうかと思うの」
胸の前で両手を組んでわくわくと告げる花に、子龍は瞬きした。
「芙蓉姫もご主人がいるし、こういうものはその方に買ってもらうものではないか?」
「あ、迷惑…になるかな?」
子龍は短く、強く首を横に振った。
「迷惑ではないと思う。花と芙蓉姫の友誼の強さはよく知っているし、あちらのご主人もそうだろう。」
「そっか、よかった。」
本当にほっとしたように花が頷く。答えを待っている子龍の顔を見て、花は表情を改めた。
「今日ね、いつものように城中を回ってた時に芙蓉姫に会って。そのとき、あの飾りが一枚だけ変な方向になってたの。きっと芙蓉姫のことだから明日にはもう完璧になってると思うし、わたしだって急に完璧なものを作れるわけじゃないけど、なんだか無性に作ってあげたくなったの。」
「…そうか」
「だからこれからしばらくは、ちょっと頑張るね」
子龍は微笑した。
「頑張りすぎだ」
「そんなことないよ。子龍くんは優しいから、わたしはとっても楽をしてるもん」
「花が楽をしているとは思わない」
子龍は力説する花の手を取った。水仕事でできたささくれや、簡を削る時にできた切り傷に、擦り傷。
「孔明殿とて、花に楽をさせているつもりはないだろう」
「うん、もちろん、分かってる。そうじゃなくて、その」
愛らしい指先に口づけると、花が動きを止めた。
「わたしも手伝う」
微笑むと妻は真っ赤になった。
「い、いいよ、悪いよ! 子龍くんだって疲れてるのに」
「花も同じだ。感謝を込めるなら、なおさら」
「でも」
「花」
少し強めに呼ぶと、花は上目遣いで子龍を見た。
「…そういうところ、玄徳さんに似てる」
「は!?」
思いも寄らない反撃に固まった子龍から花が素早く手を引き抜く。どれがいいかな、と呟きながら布をかき混ぜ始めた花に子龍は顔を近づけた。
「玄徳様に似ているというのはどういうことですか」
「子龍くん、敬語になってる」
「そうではなく」
「ね、この色は芙蓉姫っぽいよね~」
子龍はため息を零した。長くない付き合いだが、こうなった花が意外にかたくななのを知っている。それに、思いつきで言っている場合もあるし、なにより、あるじに似ているならば良いことではないか。
ふいに花の指が子龍の顔の横に伸びた。顔を上げた彼の間近に、妻の真剣な顔があった。
「うーん、やっぱりちょっと違うな」
花はすぐ離れ、また布を見始める。
「…いま、何を」
「うん、この布がね、芙蓉姫に似合うかなって。でもやっぱりメインで使うのは違う気がするな。」
うすい青に雪のような斑の入った布を指さし、花が笑う。
「なぜわたしで」
「子龍くんも美人だもん」
満面の笑みで幾度となく繰り返され、そのたびに居心地が悪くなる台詞に子龍は脱力した。これも、止めて欲しいと言っても聞かない。いつか慣れるのか、それとも花が言うのを止めるのか。灯りに揺らめく生き生きとした瞳をしばらく眺め、子龍はつと微笑した。そして花が欠伸をするまで、色を混ぜるその指先を飽きず見ていた。
(2011.12.23)
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