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花が、きょろきょろしながら歩いている。
庭園は領主にふさわしく、行き届いた手入れがなされている。庭師は居るが、花や玄徳の目に触れることは滅多にない。あちらから接触すれば別だが、あるじ溺愛の娘においそれと近づこうとする者など居ない。まして今のように、玄徳が花とゆったり過ごしているこのいっとき、彼自らが手を繋いで歩いていればなおさらだ。
しかしいま、花は玄徳よりも他のことに気を取られているようだ。充実してきたまつりごとの引き替えか、花と居る時間は急速に減った。妻として迎える段取りはつけているが、妻、にしてしまえば自分はその名称にずいぶん安心して、花を置いておく気がしてならない。
「どうしたんだ?」
玄徳は花の手を軽く引いた。彼女がはっと振り返った拍子に髪飾りがきらめいた。不揃いな丸玉が付いただけの青い硝子の髪飾りは、音がしなくていい、と花が近頃よく使っていた。玄徳にしてみれば、もっときらめく髪飾りを贈りたいが、具体的にどう、と言われると分からない。花が気に入ったものを身につけているのが一番だ、と思うことにした。この国が豊かになれば、花にも上等の衣を作ってやれる。そういうものを望む娘ではないことは分かっているが、国のあるじの妻ともなれば、その装いで国が位付けされる。そこまで思って、玄徳は苦笑した。花が大事なはずなのに、これでは順序が逆だ。
花は思い悩む様子で玄徳を見上げた。
「お茶できるところがないかなあ、って」
「東屋が欲しい、ということか?」
居城は古かった。すべて新しく見栄えの良い建物を造るほどには資金に余裕がない。妻を迎えるにあたって、夫婦の部屋は美しくしたが、それとて都の富貴を知る玄徳からすれば非常につつましい。だからこそ自然な流れで言ったのだが、花は少し頬を膨らませた。
「ち・がいます。あったかい日には外でお茶をするのもいいでしょう?」
「それなら、お前がたいてい芙蓉と一緒にいる東屋でよいだろう」
花は返事をせずに彼から目を逸らした。その目尻が紅くなっていくのが見えて、玄徳は笑い出しそうになった。しかしここで笑うとこの可愛いひとときが終わってしまう。彼は黙って待った。
「そ、の…この角を曲がると、白い花がたくさん咲いているところがあるんです」
玄徳は眼を細めた。まるで知らない。翼徳から聞いた覚えもないから、実がなる木でもないのだろう。花は玄徳から目を逸らしたまま続ける。
「低い木なんですけど小さな花がたくさん咲いて、灯りがともってるみたいですごくいいなあと思ったんです。東屋ばかりじゃなくて、ああいうところで玄徳さんとお茶をするのもいいな、って」
ふむ、と彼は顎を撫でた。
「その花はもう終わったのか?」
「はい…」
「よく見ているな」
花が少し得意そうに玄徳を見上げた。
「そのくらいの段取りは作れるようになりました」
孔明の目を盗んで庭を見て回っている彼女は、猫のようだろう。想像の後ろ姿を見つめていたい衝動にかられ、彼は口元を押さえた。しかし、それを見てどう思ったのか、花はさっと表情を真面目にして縮こまった。玄徳は小さく咳払いし、花の頭に手を置いた。
「安心しろ、言いつけたりしない」
花は腰に両手を置いて胸を張ると玄徳を見上げた。
「悪いことはしてませんから、大丈夫です!」
子どもっぽい仕草がまだ似合う娘だ。
「そんなことは言わないが、俺も混ぜてほしいな、そういう時は」
花は小首を傾げた。
「えっと…さぼりに、ですか?」
「さぼり、じゃなかったろう?」
「…そうでした」
花はくすりと笑うと、玄徳に近づいて恥ずかしそうに背伸びした。
「あの、じゃあ、みんなでお茶会にしませんか? 最近はみんな忙しそうだし、それに、玄徳さんとは、その…これからもお茶できますよね? 玄徳さんたちの桃の宴には及ばないけど、わたしもおやつを作りますから!」
紅潮した頬を見ていると、さっきは俺とふたりでと言ってくれていたよな、と確認する気が薄れた。
玄徳が希求して止まない、しかしともすれば紛れそうになるふつうの世を知る娘。国のあるじに嫁ぐとしては優しいような記憶を持たせたままともに暮らしていくことは難題かもしれないが、己の志のように戻ることはない。彼女が、自分のそばにいて変わらずにもとの日々を描けるように。
玄徳は花を抱きしめた。まだぎこちなく息を潜める少女は、夢見るような目で笑った。
(2011.12.22)
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