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四日目なのにどうして(五)? と思われた方は、(三)のいいわけをごらんください…ああいつまでもついてまわるですね…がっくり
作中に、いちぶ実在した方のお名前が使用されておりますが、ぱられるです。実際の史実とか事実とか現実とかはスルーの方向でお願いします。
では、どうぞ。
いま戻った、と言おうとして文若は足を止めた。
日が中天を回った頃で、城内の空気も何となくゆったりしてきている。雨は止んだが、少し肌寒い今日は執務室の窓をすべて閉め、入り口の扉だけ半開きにしてある。そのためか、常より柔らかい空気が漂っているようだ。
その床に、ここでは滅多に見ない青年が立て膝をついてじっと座っている。母親ゆずりの艶やかな黒髪を頭上でまとめ、地味な色合いの衣を着ている。だがよく見れば、色合いこそ地味だがそれはわざとそうしているので、非常に金のかかった出で立ちだと分かるだろう。その面差しは彼の父親に良く似て、口元に笑みを浮かべている。声を掛けようとした文若は、その視線の先にあるものを見て眉間の皺を深くした。
花が、うたたねをしていた。
穏やかな寝息と、子どもっぽく見える寝顔。時折、頭がぴくりとかしぐ。筆はかろうじて指に引っかかっているが、硯の中に今にも落ちそうだ。それを彼は実に楽しそうに、嬉しそうに眺めている。
呼びかけようとした時、その人物がふいとこちらを見て目を眇めた。
「声を出さないでください。彼女が起きてしまいます」
悪戯っぽい囁き声に、文若は眉間の皺を増やした。
「公子、いまは仕事中です」
「可愛いから良いではありませんか」
「よくありません」
「本当に愛らしい。父上が執着なさるのも無理はありませんね」
「その理屈が分かりかねます」
いつもの五割り増しほど厳しい口調で言うと、うん、と花が小さくうめいた。彼が立ち上がって、花の手から柔らかく素早く筆を取り上げる。彼女が、ぼんやりと相手を見た。
「おはようございます」
恭しく微笑んだ相手に、花は瞬きした。
「…詩を書いてくれたひと…?」
「はい。覚えていてくださって嬉しいですよ」
「あれ…? 文若さんと遊園地でデートしてたのに…え!?」
はっと背筋を伸ばした花は、ぎくしゃくと首を巡らし、不機嫌という名の像となった文若に目を留めた。目を見開いて椅子を鳴らし立ち上がる。
「ごごごめんなさい!」
「仕事中だ」
「本当にすみません!」
「まあまあ」
公子、と呼ばれた彼がするりと会話に割り込み、花の手を捧げるようにそっと持った。花が瞬きする。
「お聞きしたいのですが、『遊園地でデート』、とは何でしょう?」
途端に花が耳まで紅くなり、その反応に彼がにっこり笑って彼女の顔を覗き込んだ。
「楽しいことなのですね?」
囁くようにはい、と言った彼女の手を離し、彼は文若を振り返った。
「噂通り、本当に仲が良いのですね」
文若は咳払いした。
「いま追求すべきはその点ではありません。」
彼はくすくす笑いながら、花に礼を取った。見惚れるほど気品溢れる仕草だ。
「わたしは曹子建と申します。父同様、仲良くしてくださると嬉しいのですが」
「父?」
きょとんとして彼と文若を見比べる花に、文若は渋面を作った。こういうふうに、するりと相手の隣を占めてしまおうというところは、実に良く似ている。
「丞相のご子息でいらっしゃる。」
「ああ、孟徳さんの!」
明るい表情になって言った花は、慌てて口元を押さえた。丞相たる身を軽々しく名で呼ぶな、と文若が常々言い聞かせていることを思い出したらしい。しかし子建は咎めるでもなく嬉しそうに頷いた。
「そうそう。わたしも同じように名で呼んでください」
「公子!」
「あなたと友達になりたいな。わたしもいささか詩を嗜みますし、詩友ということで。ね、いいでしょう?」
花は自分と同じ年頃の相手を見返し、はにかんだように笑っておずおずと頷いた。子建が満足そうに頷き、振り向いて文若を見た。
「失礼いたしました。」
衣の裾を優雅に翻し、彼が部屋を出て行く。その足音が聞こえなくなると、文若はゆっくり礼を解いた。肩を竦めたまま立ちつくす花の元に近寄る。
「花」
「申し訳ありません」
深々と頭を下げる花に、もう一度咳払いをする。
「次からは気をつけろ、ともう何度言ったか分からぬぞ。ましてや、公子に対して友達、などと。礼を失している」
「すみません…次に会う時は取り消したほうがいいでしょうか」
「それこそ、無礼だ。…仕方あるまい、節度を持って接するようにしなさい。お前と年頃は近いかもしれないが、相手のお立場もある」
「はい」
「…それから、あとで、さっきの言葉を教えるように」
顔を上げた花は、恥ずかしそうに頷いた。わたしだけに教えるのだぞと言いかけ、それもあまりに心が狭いかと悩みながら、彼は自分の席に戻った。
(2010.6.24)
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