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目を開ける。部屋はまだ暗い。いつの間にか掛布から出ていた肩をさする。今日は冷える。
以前の職業柄、寝起きも寝付きもいいが、さすがにまだ起きる時分ではない。かたわらの花も静かに眠っていた。その寝顔になんとなく微笑ってしまう。子どものようだ。まあ実際の子どもはこれほど安らかでなく、眠っていても騒々しい。なぜか、大人のほうが子どもよりも安らかに眠っているような気がしてならない。彼は元の雇い主を思い出した。彼にすべてを与え、彼のすべてを所有していた、整いすぎたあの横顔。眠っていてもはかりごとをめぐらせているとさえ噂されたその寝顔がどうだったか、早安はよく知っている。
花には言っていないが、公瑾が亡くなったという噂を聞いた。その噂を早安自身はあまり信用していない。その噂を聞いてからかの地に赴いていないし、彼ならば己の死さえ利用しつくすだろう。
…花は安堵するだろうか。
己はずっと危ぶんでいた。公瑾の手が彼女に伸びてくることを恐れていた。彼は、早安がそう考えていたと知れば笑顔で肯うだろうという妙な確信がある。実際には、この村に着くまでと、着いてからしばらくのあいだ感じていた『気配』も消え、彼がふたたびあらわれることは無かったのだけれど。
通りを誰かが歩いていく。この足音は西はずれの男だろう。先日、切り株でけがをしているから足を引きずっている。それにもともと妙な癖があって、歩幅が一定でない。まだ明けきらないこんな朝早くからと不審に思うが、どこぞの後家と好い仲だという噂があったと思い出す。足音はじきに聞こえなくなった。さて、あの男の妻はたいそう気が強い。刃傷沙汰があるかもしれないと早安は薬箪笥の中身を頭の中で数えなおした。…致命傷でない限り大丈夫なようだ。
早安は花を見おろした。彼女もこのあいだ包丁で手を切ったのだった。もともとそんなに器用ではないが、さすがにこの頃は慣れてきていたから、珍しくすっぱり切って本人が茫然としていた。短いが深い傷はずいぶん痛んだらしく、子どものように涙ぐんでいた。
ふと、花なら公瑾が亡くなったことを知れば素直に悼むような気がした。惑うばかりと思っていたその手が、心が、意外に頑丈なことを彼だけでなく、この村の者がみな知っている。己を窮地に追い込んだあの男さえその手で送る幻を見る。
掛布を直し、花に寄り添ってまた目を閉じる。
(早安)
静かな彼の声が聞こえる。自分がごく小さい頃から、彼は声を荒げることはなかった。そんな場面にはただより静かに冷たくなった…早安は目を開けた。
今まで、こんな風に彼を思い出したことはない。花が話す遠い国のように…そう、どこかやさしさを持って思い出すなんて。確かにあんたは俺のすべてだったんだなと彼は目を閉じた。これは油断だ。彼がいみ嫌う緩みだ。
公瑾がほんとうに亡くなっていたとしたら、自分は泣くだろうか。まるで想像がつかない。ただ泣くとしたら、彼女に預けた自分が泣くのだと、彼は思った。
(2012.8.28)
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